式内 麻良多神社
概 要
社 号 麻良多神社
読み:古 マラタ・現 まらた
所在地 京都府舞鶴市丸田字宮ノ谷142
旧地名
御祭神 譽田別命(ホムダワケノミコト)=応神天皇
例祭日 10月第3日曜日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
加佐郡(カサ):11座(大1座・小10座)
式内社
近代社格制度
創建 貞觀5年(863
本殿様式 入母屋造
境内摂社(祭神)
境内神社 恵比須神社(祭神 事代主神社)
大黒神社(祭神 大己貴神)
玉神神社(祭神 大山咋神)
一口メモ
由良川の下流域左岸、国道175号(宮津街道)八雲小学校のすこし北、ちょっと入り組んだ谷間にあり、国道からも何とか見える位置にある。現在は国道に八雲保育園の目立つ建物があり、道が少しカーブしていて社号標に気づかず行きすぎてしまった。車を止めて確かめると、公民館の横に社号標を発見!横手は池がある間に細い参道がある。
歴史・由緒等
鎮座地の地名が丸田、さらに丹哥府志には「麻良田神社」(延喜式)とあって、加佐郡式内社の麻良多神社はこの社と考えてよく、明治41年に「麻良多神社」と社号を変更したという。
社伝によると、「貞観五年(863)に、丸田の沼に夜々異光を放つものがあって、村人はこれを明神と称して尊崇し、同八年に男山八幡を歓請した」(『加佐郡誌』)とある。
同社はかつて八幡神社を社号としていたが、明治41年に「神名帳」所載の神社をこれに考定して社号を変更した。創建の社伝は「貞観五年(863)に丸田の沼に夜々異光を放つものがあって、村人はこれを明神と称え尊崇し、同八年男山八幡を勧請した」(『加佐郡誌』)とするが、森羅万象の中で人知でははかり知れない現象を、これすべて神と見るのが古代人の神観念の通例であって、おそらく同社も初期には単に”麻良多の神”であったものが、八幡神の流布によって、これに習合吸収されたのでないかと推察されよう。
《舞鶴市史》
「丸田の沼」と呼ばれる小さな池が神社と保育園の間にある。境内にはケヤキ、タブノキの巨木がそびえる。
境内・社叢
国道脇の社号標 鳥居
手水舎 社殿
舞殿のある拝殿 幣殿・本殿
境内摂社
境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「神詣」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」さん、「神社探訪」さん、『延喜式の調査』さん
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